しあわせを感じるとき。

しなやかに、マイペースに、自分らしく生きていく

悩みをつくっているのは自分だということに気づいたら、悩むことはなくなるという話【適齢期を過ぎた独身編】

f:id:feelhappynow:20190827001734p:plain

 はじめに

 

少しスピリチュアルな表現になりますが、私は固定観念にとらわれず、どのような自分であっても“しあわせに生きる”ことが、自分の人生における一つの課題だと感じています。そのために、さまざまな試練が目の前に現われているのだと真面目に考えています。

 

実際のところ、そんな自由な自分になれたとしたら、悩みというものは全くなくなってしまうのではないでしょうか。今回は、私たちが固定観念を強く持ってしまいがちなことについて、それをどう乗り越えればよいのか、例を挙げてお話したいと思います。

 

古い世間の常識から自由になる

 

結婚と離婚に対する世間の価値観

私は、アラフォーになってもまだ独身でいます。なぜかと聞かれたら、自分の中にはその答えがあるのですが、世間の人はそう簡単には納得しないでしょう。適齢期になったら、結婚するのが当然だと思っている人が圧倒的に多いのです。

 

私自身、30歳を過ぎた頃から親や親戚にしつこく聞かれたものですが、その話には触れないで欲しいと頼んだところ、諦めてもらえたのか、直接私に話すことはなくなりました。親だけではありません。友人との間や職場でも、結婚をしていないと、なぜか居心地が悪いときがあります。世間一般の常識というのは、それほど怖いものなのです。独身でいること、あるいは晩婚であることも、人生の選択の一つとして尊重される日がやってくることを願うばかりです。

 

反対に、離婚に対しては世間の理解が進んでいるような気がします。離婚を選ぶ人が多く、必然的に世間の常識が変わらざるを得なくなったと言った方が正しいかもしれません。それでも、中には離婚した自分に対して、自分はダメな人間なのだと思ってしまい、苦しんでいる人もいるようです。

 

それでも「人の価値」は変わらない

 

自分で自分の価値を下げないこと

世間の常識から外れると、とかく自分がダメな人であるとか、欠陥があるとか、人と違うことをマイナスに捉えがちです。でも、本当にそうでしょうか。結婚しないことや結婚が遅いこと、あるいは離婚することで、人の価値は変わってしまうものでしょうか。そのように考えることは、周囲や世間の目を気にして、自分の価値を自分で下げることになってしまう気がしてなりません。

 

人は人、自分は自分と考え、人生の選択も自由であると思えたら、私たちは悩みや苦しみの一つから解放されるのではないかと思うのです。それは簡単なことではないかもしれませんが、まずは自分自身が強く思うこと、そして宣言したり、そう思っている自分として、堂々と振る舞うことで、周囲の見方も変わってくるかもしれません。

 

周囲に理解してもらう努力も必要

私の場合、現段階では家族や親戚、身近な友人はなんとかクリアしています。世間の常識から外れた自分であっても、自由にしあわせそうに生活していたら、周囲はそれがその人のスタイルだということを認めてくれるようになってくるでしょう。

 

その過程において、どうしても理解してもらえず干渉してくる人がいたとしたら、しばらく距離を置いたりすることも必要かもしれません。また、それが自分の親の場合、心配して言ってくることもあります。はじめのうちは理解してもらえなくでも、自分の考えを伝えるなど、そのことについて何らかのコミュニケーションを取るだけでも、少しは安心もらえるのではないでしょうか。

 

おわりに

 

今回は、結婚や離婚を例に挙げ、人の価値は変わらないという話をしましたが、それは他のことにも当てはまります。例えば、うつなどで休職したり退職したりすると、家で休養していること、精神科や心療内科に通うことなどについて、周囲に理解してもらえないケースもあるかと思います。

 

そんなとき、自分が価値のない人間だと思うことはないでしょうか。決して、自分で自分の価値を下げないようにしましょう。いま置かれている状況は、自分にとって必要なことなのです。私たちは、どんな自分であっても人としての価値は変わらない、価値ある人間であるということを、どうか忘れないでください。